一つの真実を知るだけで涙が止まることもある
子供の勉強について調べていたら「ちいちゃんのかげおくり」という物語に辿り着きました。教科書にも採用されているそうですが、私は知りませんでした。
あぁこれはきっと悲しい話だろうと思いつつ、読んでしまい・・・
涙がポロポロ。
この物語の背景にはどんなストーリーがあるのだろうと調べていたらある知恵袋のベストアンサーが目に留まりました。
ちいちゃんはなぜ亡くなってしまったのか、という質問に関するベストアンサー
あくまで知恵袋ですのでこれが真実かは分かりません。でもこの回答を読んでなるほどな、と納得した部分があったのも事実。
そして、そのときすっと涙が止まったのです。
私はこの回答者さんが書いた「幼児が、未発見のまま、孤独死など、考えられないのです」という言葉を聞いて、正しい情報も知らぬままただ深刻に、悲劇的になりすぎていたかもしれないと感じたのです。
(もちろん戦争ほど、残虐で悲劇的なものはありません。それは十分すぎるほど理解しています。あくまでこの作品に感情移入し過ぎてしまう事に対してです。)
ただ、この作品は、とても悲しいお話だけれども、これはこれで良かったのだろうなと思う部分もあって。
作者のあまんきみこさんはちいちゃんを生かしてあげたかったけど、何度書いても死んでしまったと語られています。そうせざるを得ない、なにか導きがあったのでしょう。
悲劇的な最期を迎える作品ではありますが、だからこそ、みんなの記憶に残る作品となったのでしょう。教科書にも採用されていますから、親子二代で涙を流した方も多いのではないでしょうか。
他にも同じく戦争映画で、事実を知ることで少しだけ心が楽になった経験があります。
「私は貝になりたい」。
原作では作者は生き延びています。処刑されていません。
(これまでフランキー堺さんや所ジョージさん、中居正広さんが演じました。最後に中村獅童さんが演じたものは他の作品よりも原作に近いみたいなので、減刑ののち最後まで人生を全うする物語なのかもしれない)
見たら鬱になるって分かっているのでこの作品は見ていません。が、事実は映画とは異なるということは知っていました。
当時この映画を見てダークサイドに落ちていた私と同じく繊細な姉は、原作者が生き延びていたという事実を知って「原作者、処刑されてないじゃん!なんで無理やり悲劇にするの~!」と言っていました。
そして「火垂るの墓」。原作はジブリの人ではなく野坂昭如氏です。
実話を元に書かれた作品ではありますが、事実は作品とはかなり異なっています。
清太=作者はあのような亡くなり方はしていません。家族構成や戦時中の話も物語とはかなり異なっています。
作者の野坂氏は清太のような優しい妹思いの兄ではありませんでした。
妹への贖罪のつもりで火垂るの墓を書いたのです。妹への想いを作品に託したのです。
戦争に関してはどれだけ語り尽くしても足りないほどの悲しく、残極なストーリーがあると思う。でも、そんな中でも助かった人、生き延びた人もちゃんといる。
私は新しい事実を知るたびに事実を捻じ曲げてまで悲劇にする必要もないのではないか、と思った瞬間があったのです。
「いや、実際にこういう悲しいストーリーが当時はいくらでもあったんだよ」という方もいるでしょう。それは間違いではない。実際に語られていない、語り尽くせない悲劇のストーリーがあの頃の日本にはそこらじゅうにあったのでしょう。
そして、物語が悲劇的であればあるほど、衝撃的であればあるほど、人々の記憶に残り教訓となるのであろうことも理解できます。
ですが、それとはまた別なのです。
この映画を見てしまった、この絵本を読んでしまったことによるどうしようもない悲しみが、真実を知ることで少し楽になることもある、というお話です。
哀しい気分になるものは何でも避ければいいとは思っていません。
戦争がいかに悲惨で残虐なものであるか、後世に伝えていく大切さは知っているつもりです。
ですがHSPでもある私は幼少期の間(もちろん毎日ではないですが)周りから与えられた戦争のトラウマと恐怖と共に暮らしていました。
祖母から聞かされた戦争体験(大阪大空襲を経験)、家や学校で繰り返し流されるアニメ、児童館にあった戦争漫画。
毎年夏になると「またこの季節が来たか・・・」と怖くて夜も眠れず、布団の中でもう来るはずもない空襲に、鳴ることのない空襲警報に怯え続けた子供時代を過ごしていました。(自分の誕生日が終戦記念日なので、毎年誕生日が近づくと戦争映画が放送されるというのもさらに憂鬱でした。)
もう十分すぎるほど平和の大切さは分かってる。もう勘弁して。この映画を見るべき人は、戦争の悲惨を伝えなくてはならない人は、私以外にも他にたくさんいるでしょう??と、子供心に感じていました。
そんな不安や恐怖心の強い人間にとって、その時の情景がありありと浮かび、その人の苦しみや悲しみにいとも簡単に支配されてしまう人間にとって「これはフィクションだった」「実は作者は生きていた」という事実を知ることって、とても大きいのです。
これが実際に起こった話なのか、フィクションなのかで、自分に降りかかる衝撃や重みが違ってくるのでしょうね。
なので、同じように自分には受け止めきれない悲しみを知ってトラウマになってしまったことがある人は「これは本当に起きた物語なのか?」一度確認してみるだけでも心が楽になることがあるかもしれません。
今回は暗い、重い話題になってしまいました😅
これまで色々とブログを書いてきましたが、戦争に関することは書いたことがありませんでした。どうしても鬱々とした暗い雰囲気が漂ってしまうし、そんなエネルギーを自分から発信したくない。書くなら前向きになれる、祝福のエネルギーに満ちたものを残したいと思っていたから。
でも、私が年を取ったせいでしょうか。もうそんなことは言ってられない時代に突入してきたせいでしょうか。書いてみようかなと思いました。(消すかもしれないけど…)
歴史の事実は事実として受け止めて、その教訓を活かしていくことは大事ですね。
でも必要以上に罪悪感を感じたり悲劇的にならないようにする大切さも、繊細さん・・・HSPの方に伝えたいなと思って書きました。
過去の私にも伝えたいのかもしれません。
「そんなに怯えなくていいんだよ」って。