シャンティレイズ 私が見ている世界

スピリチュアルな日々を綴ります

スピリチュアルとコロナについて思うこと

 

愛知県みよし市のシャンティレイズです

 

前回の気学についての続きの前に

 

今日は コロナについて

私が思う事を書いてみたいと思います

 

それぞれ意見が違っても

思いやりや調和が大事だよね、というお話です

 

 

コロナについては色々な考え方があると思います

 

コロナはある

コロナは茶番

 

ワクチン打ちます

ワクチン打ちません

 

 

コロナがとても怖いと感じていらっしゃる方

特に心配していないという方

 

 

コロナはあるけど「光の存在」に守られているから大丈夫

 

そもそもコロナは「存在しない」から大丈夫

 

私は「コロナにかからない」という現実を引き寄せるから大丈夫

 

 

ただ 「大丈夫」と思うだけでも

いろいろな理由がありますね

 

 

そして みなそれぞれ自分の考えが

真実だ、正しいのだ、と考える

 

 

 

しかし 

この世に正解・絶対というものはないです

 

 

99・9%正しいかもしれないけど

残りの0・1%は分かりません

 

 

 

自分の中に「すき間」を残しておくことは

 

現実を生きていく上でとても大切だと

 

私は考えています

 

 

 

 

だから 自分の考えは別として

やるべきことを 淡々とやって過ごす

 

周りと調和する

 

周りの不特定多数の人達や

身近な大切な人達を

不快に、不安にさせるようなことはしない

 

 

後は 「前向きに過ごす」

 

それしかないと思っている

 

 

あなたが見た

その「ネットで見た情報」は本当ですか?

 

「有名な○○が△△と言っていた!」

 

 

ネットで見ただけの、

その○○さんが確実に存在しているという根拠は?

 

 

本当に、その写真の人は、

「存在」しているのでしょうか

 

 

その方は 

本当に「その名前の人」なのでしょうか

 

 

 

なぜそんなことを言うかというと

 

 

なぜマスコミやテレビの情報はせーんぶ嘘で

 

なぜ 

誰か書いたかも分からない

ネットの記事や動画は

本当の事を言っていると

決めつけられるのでしょうか?

 

と思うからです

 

 

新聞やテレビなどは全て疑うのに、

ネットの情報は疑わないのは

なぜでしょうか?

 

 

ネットの方が 

よほど何の責任もなく言いたい放題、

言った物勝ちな部分もあるように思います

 

 

人はだれでも、

自分に都合の良い情報に目が行きます

 

 

刺激的な情報であるほど記憶に残るし

そういった情報を見て

「やっぱりそうか」となる

 

 

私だってそうです

無意識のうちに何を見るか、信じるか

選別しています

 

 

だからこそ、それを自覚しておくことって

大切なのではないでしょうか

 

 

一部の方々が

 

自分たちだけが真実を知っている

 

みんな騙されている

 

みんな流されている

 

みんな自分の頭で考えていない

 

目覚めた人 目覚めていない人

 

 

と、自分たちの意見に合わない人達をに下に見ているのを見ると

 

なんだかなぁ~ と思います

 

 

私がスピリチュアルや悟りの世界で尊敬する方というのは

本当に限られていて

数名しかいらっしゃらないのですが

 

どの方も

 

色々大変な世の中だけど 

コロナに負けるなよ!

頑張ろう!

 

という いたって現実的なスタンスです

 

余計な不安や 恐怖を煽ることもしないし

 

コロナがあるとも、ないとも

ワクチンが良いも悪いも

断言していません

 

 

聞かれたら答えるかもしれないけど

聞かれもしないのに

語ったりしません

 

その姿勢に

自分の考えこそが真実だという

傲慢さは感じません

 

 

もはや自己主張、

アピールする必要のない世界に

生きているともいえます

 

 

もちろん、本当はご自身の中では

コロナというものをどう捉えているか

個人的な考えは お待ちかと思いますが

 

影響力のある方が

何かを決めつけて発言してしまうことが

どういうことなのか、

よく分かっていらっしゃるのだと思います

 

 

分かりもしない真実を突き止めることに

そもそも意味を感じないというか

重要視してないのかも

 

大切なのは そこじゃないというか

 

 

とても自由で 

 

かろやかで

 

押しつけがましさがないのです

 

 

曖昧なものは

曖昧なままでいいのです

 

 

そこを自分にも人にも

許すことが

大切なのかなと

 

何か、考えるきっかけや

参考になれば幸いです